なんでこうなるの?

風来坊のなにげない日々を綴るブログ

一人で時間を過ごしていく

前のブログから時間がすぎ
その間に色々ありすぎて書ききれません。
まずは母の認知症がどんどん進んだこと
私が年末に取り乱して精神科へ行ったこと
年賀状かけなかった精神状態だったこと
包括支援センターに母の介護を辞めさせられたこと
同居は不可で母を老健へ行かせるよう命令されたこと
上の機関に訴えても反対に弁護士たてて成年後見人をつける
そうなったらもう母親にかかわれないぞと脅されたこと
気が狂ったこと
自殺しようとして成功しなかったこと
その後も生きる気力はないこと
考え方や感じ方の違いで友人を何人も失ったこと
毎日ベランダから飛び降りることばかり考えてること
道を歩いてると「車突っ込んでくれないかな」と思うこと
食欲はおち、体重も一時は14キロぐらい減ったこと
髪の毛もどんどん抜けてハゲ寸前なこと
毎日毎日母を思って号泣し続けてること
27年間飲まなかったお酒をまた飲み始めたこと
母が好きだったものはいっさい食べられないこと
 
ひとつひとつに膨大なエピソードがあるので割愛
 
でも失った仕事のかわりに違う仕事が入ったので
どうにか立ち直ろうとしてたし
自殺防止のNPOの方々も時々訪ねてきてくれるし
生きていかなきゃと前から痛かった肩のために
整形外科へ7月なかばに行ってきた。
そしたらちょうど母と私ぐらいの親子がいたの
母親と子供のほうは男性でおっさんだったけど
それがまた素敵な親子で
お母さんの世話をやく息子の様子は理想だった
母親のほうは少し認知症があるようで
すぐにマスクをはずそうとしたり
手のアルコール消毒もうまくできなかったけど
ひとつひとつ丁寧にうまく手伝ってた
そのうち母親が自分の腕にあるシミに気がついて
シミがある〜って言ったら息子がすかさず
「そのシミは勲章だよ。
 僕たちに一生懸命食事を作ってくれたステキな勲章」
そう言ったのを聞いたら隣で私は泣けてきて
こっそり隠れて号泣してしまった
自分が手放したもの、もう戻らない幸せ
すべて自分が悪いのだけど
やるせなくてせつなくて辛かった
せっかく少し顔をあげる勇気が出てきてたけど
一気に半年前の自殺しようとしたころに戻っちゃった
その日だれかにこのことを話したかったけど
忙しいようでだれとも話せなかった
できればちょっと笑い話的に話して終わらせたかった
でもできなかった
だからその晩したたかに飲み記憶をなくした
朝起きたらグラスが何個もたたき割られており
自分の尾てい骨にも激痛がはしり湿布が貼ってあった
たぶんしりもちついて痛くて自分で貼ったんだろう
まったく記憶がない
ついでに生きる気力もない
死ぬ気力もないけどね
 
それでも受けた仕事だけは納めねばならぬ
それを放り出してまで死ぬ勇気はない
生きねばならぬ
とても辛いし酒を飲まずにはいられない
なぜ私はここにいる?なんでいなければならない?
母が彼岸に旅立ったら私も行きたいと思うが
反対に言えば母が生きてるうちは生きねばならぬ
そう無理矢理思って今がある
 
スマホの住所録から大事な友人を消した
私が一線を越えたとき、連絡がいかないようにね
私のその日はいつくるかわからないし
明日かもしれないし10年後かもしれない
友人たちには「面倒なヤツがいたがどうしてるかな」
そんな感じで何年に1度か思い出してくれればいい
私は人とかかわると甘えてしまう
どんどん話をしたくてぐいぐい行っちゃうので
人は勘弁してくれと、はなれていく
仕方ないのだ自分が悪い
 
母は生きてるだろうか
施設で転んで腰を打って入院したときと
病院を転院したときの2回しか会っていない
コロナが蔓延してるせいで面会できないのだ
高齢者を施設や病院に預けてる人は皆一緒だろうが
会いたいよ抱きしめたいよ
家の中で母のものを見ると涙が止まらない
止めるために今日も酒を飲む